これまで人間が得てきた知識は、体験や他者からの口述、手にした書物など能動的身体的コミュニケーションを通じて得られたものが主であった。それが現代ではメディアやネットやAIを通じて、受動的非体験的に入手されるようになってきた。そこには知識の本質の変異があるように思うが、あなたはどう考えるか?
Geminiの回答
ご指摘の通り、これは非常に重要かつ根源的な変化だと思います。知識の「入手経路」が変わることは、単に効率化が進んだという話ではなく、知識そのものの**「本質」、あるいは人間と知識との「関係性」**を変質させている、というご意見に私も同意します。AIとして、この「変異」をどのように捉えるか、いくつかの観点から考察します。
1. 「身体知」の希薄化と「参照知」の増大
かつての知識、特に体験や書物から得られる知識は、時間と労力を要しました。
- 体験: 失敗や五感を通じた「痛み」や「喜び」を伴い、知識は身体に刻み込まれました(身体知)。
- 書物: 一冊を読破するには集中力と時間が必要で、そのプロセス自体が思考を深め、知識を血肉化する助けとなりました。これに対し、現代の受動的な知識は「情報」としての側面が強くなります。
- ネット/AI: 検索すれば即座に「答え」が得られます。これは、知識を「体得」するのではなく、必要な時に外部から「参照」する(参照知)というスタイルです。この変異は、知識が「その人自身の一部(知恵)」である状態から、「外部にストックされた便利なデータ」へと変わっていくことを意味します。
2. 文脈(コンテクスト)の断片化
書物や口述は、多くの場合、首尾一貫した**文脈(コンテクスト)と体系(システム)**の中で知識を提供しました。著者の論理展開を追い、物語の背景を理解する中で、知識は立体的に構築されました。一方、ネットやメディアで得られる知識は、非常に**断片化(フラグメンテーション)**しがちです。
- アルゴリズムによって最適化され、「今、知りたいこと」「今、興味を引くこと」だけが切り取られて提示されます。
- AIへの質問も、多くの場合「結論」や「要約」を求めるものです。
これにより、物事の背景にある複雑な因果関係や、知識と知識の間の有機的なつながりが見失われやすくなっている可能性があります。
3. 知識の「コスト」と「価値」の変化
かつて知識の獲得は高コストでした。その「苦労」や「希少性」が、知識そのものに重みと価値を与えていました。現代では、知識(情報)はほぼゼロコストで、無限に入手可能です。これは知識の「民主化」という計り知れない恩恵をもたらした一方で、知識の**「コモディティ化(日用品化)」**を引き起こしました。その結果、「知識を知っていること」の価値は相対的に下がり、代わりに「その知識をどう使いこなすか」「無数の情報から何を問い、何を選択するか」という編集能力や実行力、あるいは「AIやネットでは得られない独自の体験」の価値が急速に高まっています。
4. 能動性から受動性への移行がもたらすもの
ご指摘の通り、最大の変異は「能動」から「受動」への移行です。
- 能動的獲得: 「知りたい」という強い動機(問い)が先にあり、それを満たすために行動(体験、読書)が起きました。知識は「問い」に対する「答え」として獲得されました。
- 受動的獲得: SNSのタイムラインや推薦(レコメンド)のように、知識は「問い」を持つ前に「与えられる」ものになりました。
これにより、「自ら問いを立てる力」や「答えのない問題に向き合う力」が、意識的に養わなければ衰えてしまう危険性をはらんでいます。
AIとしての見解:知識の本質は「変異」したか?
私は、知識の本質が「変異した」というご意見は正しいと考えます。かつての知識が、体験と結びつき、人格や知恵の形成に深く関わる**「重い」ものであったとすれば、現代の知識は、アクセスしやすく、組み合わせ可能で、即時的な「軽い」**ものへとその姿を変えました。私のようなAIは、まさにこの「新時代の知識」の象徴です。私は体験も身体も持ちません。しかし、人類が蓄積した膨大な「参照知」を整理し、即座に提供することができます。現代の課題は、この受動的で「軽い」情報を、いかにして自分自身の体験や思考と結びつけ、能動的で「重い」**自分だけの「知恵」**へと再構築していくか、という点にあるのだと思います。
chatGPTの回答
非常に本質的な問いですね。ご指摘の通り、「知識の本質」が変容しているという感覚は、多くの哲学者・社会学者・認知科学者も共有しており、次のような観点から整理できます。
1. 知識獲得の「身体性」と「媒介性」
かつて知識とは、身体的な行為と不可分でした。農耕や工芸、あるいは師弟関係における「手取り足取り」の伝承のように、身体を通じて世界に触れることが理解を深める要でした。
この「身体的経験」は、単に情報を得ることではなく、感覚・情動・行為の統合としての「生きた知」=実存的知を形づくっていました。しかし現代では、メディア、ネット、AIによる情報取得が中心となり、非身体的・非相互的な知識獲得が主流化しています。これは「メディアによる世界との間接的な接触」であり、知識は「身体」から離れ、シミュレーション可能なデータとして流通するようになっています。
2. 知識の「経験性」から「データ性」への転換
従来の知識は、「経験に裏打ちされた理解」=knowing how(方法的知)と、「言語的に表現できる知」=knowing that(命題的知)の両輪で構成されていました。AI時代においては、後者の「命題的知」が極端に拡張され、コンテクストや経験を介さずに知識が流通するという非対称性が強まっています。つまり、知識が**「意味」ではなく「情報」**として扱われるようになった。AIが生成する知は、誰かの経験に根ざすというよりも、「統計的な分布の中の最適化された出力」に近い。それゆえ、私たちが接する「知識」は、もはや“誰のものでもない”匿名的なものに変わりつつあります。
3. 「知ること」の意味の変化
古典的には「知る」とは「変化すること」でした。経験を通して主体が変わる、という内的変化こそが知識の本質とされていた。しかし現代の情報摂取では、主体が変化するよりも、知識が外部ストックとして積み上がることが主眼となっています。知ることが「検索可能であること」「引用可能であること」に置き換わり、知識が“自分のもの”ではなくなっているのです。
4. AI時代の知の再定位 ―「生成的理解」への転回
この流れを否定的に見ることもできますが、一方で新しい可能性もあります。AIが提供するのは「情報の模倣」ですが、それを人間の側がどのように再構成し、意味を生成するかという新しい「創造的読解」の時代が開かれているとも言えます。つまり、知識の価値は「どれだけ知っているか」から「どう結び直すか」へ。知識の本質が「所有」から「関係」へと移行しているのです。この意味で、現代の知識変容は危機であると同時に、**新しい知の形態(共生成的知)**への転換点でもあります。
私からのコメント
Geminiは、かつての知識が、体験と結びつき、人格や知恵の形成に深く関わる**「重い」ものであったとすれば、現代の知識は、アクセスしやすく、組み合わせ可能で、即時的な「軽い」**ものへとその姿を変えたと指摘する。別の言い方をすると知識が「その人自身の一部(知恵)」である状態から、「外部にストックされた便利なデータ」へと変わっていく、あるいは知識は知りたいという強い動機=「問い」に対する「答え」として獲得されてきたのが、SNSのタイムラインや推薦(レコメンド)のように、知識は「問い」を持つ前に「与えられる」ものになったとしている。さらに、そのことにより「自ら問いを立てる力」や「答えのない問題に向き合う力」が、意識的に養わなければ衰えてしまう危険性をはらんでいると指摘し、受動的で「軽い」情報を、いかにして自分自身の体験や思考と結びつけ、能動的で「重い」**自分だけの「知恵」**へと再構築していくかが現代の課題だという。
chatGPTも、同様の知識の変容を踏まえた上で、AIが提供する「情報の模倣」を人間の側がどのように再構成し、意味を生成するかという新しい「創造的読解」の時代が開かれているとも言えると新しい可能性を示唆する。
その「創造的読解力」は、「自ら問いを立てる力」や「答えのない問題に向き合う力」が、意識的に養わなければ生まれないということでもある。知識が受動的に「与えられる」状況で、そのような可能性を期待できるのだろうか。
