NPO法人ウィメンズアイ理事、南三陸所長/パン・菓子工房oui工房長
栗林 美知子さん
第4回目は、宮城県南三陸町を拠点に地域の女性たちに寄り添い、活動をされている栗林美知子さんです。栗林さんとは、一関市千厩町の「せんまや100人女子会※(以下、100女)」の取組でご一緒し、100女のチームアップや企画の支援をしていただいたご縁があります。
今回は、栗林さんのこれまでの活動の背景や現場で大切にしていること、今後の展望についてお聞きしました。
※せんまや100人女子会についてはこちらをご覧ください
(聞き手:かまた、安富(オンライン))

せんまや100人女子会での出会い

石デとの出会いは、確か「せんまや100人女子会」が初めてでしたよね。石デの第一印象はいかがでしたか?



すごく面白い人たちだなというのが最初の印象です。そのころウィメンズアイ※(以下、ウィ)ではローカルの女性たちや地域づくりについて色々と感じていることがあった時期でした。安富さんが千厩の人々と長く関わっていて、地域の事情をすごくわかっていらっしゃる上で、「女性たちのことを応援したいと思うんです」と話してくれたことがすごく新鮮に感じて、良い意味で「こういうコンサルタントの方々もいるんだ」と思いました。
※NPO法人「ウィメンズアイ」は女性が活躍できるしなやかな社会を目指して、コミュニティで女性たちが交流し小さな活動を始めるプロセスや女性たちがゆるやかな連携を形成していくプロセスを支援しています。代表理事に石本めぐみさん。今回お話を伺った栗林さんは設立メンバーの一人で団体の理事を務める。



100女のメンバーがウィさんと繋がっていたことが出会いのきっかけだったと記憶しています。ちょうどトヨタ財団の助成金を獲得できて、女子会メンバー有志のチームビルディングがとても大切だったので、ウィさんにご相談したという経緯だったと思います。



その頃、「ウィと一緒に小さなナリワイ塾」という取組を行っていて、たぶんそういうものに関心を持ってくださったのかなと思います。



そうですね。100女が、いずれは地域の小商い・なりわいのような、ビジネスの視点も視野に入れて、まちづくりに関わるという選択肢もあったので、ウィさんと100女が継続的にコミットできる環境ができたらありがたいねとメンバーとも話していました。


小さいころから1人でも好きなことへ勝手に動いちゃうタイプ



今の仕事のルーツになるような幼少時代の原体験や学生時代のことを教えてください。



ルーツかはわからないんですけど、自分の興味があることには1人でもそこに行っちゃう子どもでした。今、小学生の姪っ子がいるんですけど、この前母親が姪っ子のことを「私の小さい頃みたい」と言っていました。いつも実家に帰ると大人気なく姪っ子と張り合うことが多くて、自分に似てるとも思っていなかったんですけど(笑)
でも、話を聴くと姪っ子は、家族で出かけたときに、1人でどっかに行って、好きなことを自分で見て、満足したら帰ってくると言っていて、確かに私も小さいころはそういうことをしていたなあと思いました。
大学生のころも、例えば関東の大学が主催するイベントや海外のボランティアにも自分が興味があって、これをやりたいっと思ったことは1人でも参加していました。そういう行動を起こすことは、自分にとってはあまり難しく感じない。好きなことに対して、勝手に動くタイプだと思います。



チャレンジする時って、1回色々イメージして、躊躇したりもするじゃないですか。不安に感じたりすることも全然ないタイプですか?



例えば海外ボランティアの時も、もちろん渡航直前は緊張している感覚はありますが、それにチャレンジするということ自体に不安や怖さはないですね。



そういう不安な気持ちより、わくわくする気持ちの方が大きい感じですか?自分にとってチャレンジとも感じないで、好きなことに自然に向かっていくみたいな感覚なのかなと思いました。



そうですね。仕事をやめて、東京から宮城に引っ越してきたときも、結構周りのみなさんに「すごい」と言われたんです。でも私の中では全然すごいことをやっている感覚はなくて、ただ自分がやりたい、興味があって来ただけでそのまま自然に今ここにいるという感覚です。
東日本大震災後のボランティアをきっかけに女性の支援をはじめる



現在所属されているNPO法人ウィメンズアイはどのように立ち上げされたんですか?



震災のあと2011年4月に初めてボランティアに参加しました。現場では4月末くらいから女性支援の団体をつくるという話がでて、2011年の6月にウィの前身の任意団体が設立されました。そこから約2年活動を続けて、2013年6月にNPO法人化しました。



震災当時、ウィの代表の石本は、仕事を辞めたタイミングで長期滞在することができたため、最初から専任のスタッフとして活動していました。私はその頃東京で働いていたので、バックオフィスで手伝えることをやりたいと申し出ました。2年間はそのような形で関わった後、2013年の1月に東京の仕事を辞めて、ウィの立ち上げの準備に加わりました。



震災後のボランティアで現地に入った時は南三陸町だったんですか?



隣の登米市に拠点があって、そこから毎日被害が大きかった沿岸部に行くという活動をしていました。私が災害ボランティアとして参加したのは、RQ市民災害救援センターという団体でした。全国の自然学校に関わる人たちが中心につくったボランティア団体で、ウィの立ち上げに関わるメンバーも最初は個人のボランティアとしてその団体に登録していました。



元々は皆さん個人で同じ場所にいたんですね。



はい。本当に偶然の重なりで。その団体が物資を配布したり、がれきを撤去したり、泥かきしたりと色々なボランティアのチームがある中で、女性の支援をする活動がありました。「私も手伝いたいです」と言って参加したことがきっかけで知り合いました。
RQ市民災害救援センターは緊急支援のための団体だったので、その年の12月には解散しています。そこからいくつかのチームだけが、継続して活動していく団体をつくって残っていったという流れです。



今、ウィさんはローカルで、暮らしを楽しもうとしている女性の方々の背中を押す活動をされていますけど、東日本大震災が起こってボランティアに行ったときは、元々被災地で苦労していらっしゃる女性の方を助けに行こうというモチベーションだったんですか?



そうではなかったです。



本当に大変な状況の中で、「ボランティアに行こう」という純粋な気持ちで現地に向かったんですね。その中で、ウィの活動の軸となっている、ローカルの女性の背中を押さなきゃというミッションはどのように生まれていったんですか?



活動をしていく中で、さまざまな世代の女性たちの声を聴く機会がありました。特に、同世代や自分よりも若い世代の女性たちが、地域で一歩踏み出す、自分らしく活動を続けていくという時に難しさを感じている、という気づきがありました。女性は、結婚や出産・子育てなどライフステージの変化のなかで、社会的な役割を強く求められることが多く、どうしても優先順位が変わっていきます。その結果、やりたいことができなくなったり、さまざまな制約に直面したりします。



また、地域的に家父長制の影響が根強く残っていることも、大きな要因だと思います。そういった背景を、最初からわかっていた訳ではなく、女性たちの声を聴くと同時に、これまでも長年女性支援に取り組んできた団体や研究者の人たちと知り合う中で学んでいったと思います。



ウィさんは、現地で女性が直面する状況を目の当たりにして、その人たちに伴走しながら応援されている今があるのですね。


さらに地域の女性に寄り添った活動をするため南三陸へ



南三陸に拠点を持とうと思った経緯はあるんですか?



元々沿岸の気仙沼や石巻まで広く活動していましたが、ボランティアも減っていく中で少数のスタッフで活動していくとなると中心となる活動場所を決めることになりました。そのなかで南三陸では外部の団体支援同士のつながりはまだこれからで、活動しやすい環境づくりも模索途中でした。それから、災害ボランティアの時代から、南三陸から避難された方々とのつながりが深く、当時私たちが暮らしていたシェアハウスのすぐ側に南三陸から避難されている方の仮設住宅があり、地域の人たちとの繋がりが多くあったこともあります。



生活を再建していく復興期のはじめは、女性たちと知り合い、小さなコミュニティをたくさん育てることを注力していました。そうして地域内でのつながりが広がるなかで、社協さんや行政と連携につながっていった気がします。


本来その人が持っている声を安心して出せる場をつくる



子そだてハッピープロジェクトを進められているそうですが、今はどのような活動をされているんですか?



震災後、まちづくりの話し合いをしていた時に、子育て世代の課題はテーマとして挙がっていましたが、すぐに子育て支援の取り組みが始まった訳ではなく、小さいナリワイや何かアクションを起こしていきたい女性たちのサポートを中心に取り組んでいました。



ただその間に、震災後にボランティアに来たことがきっかけで、地元の人と結婚し母親になった女性たちが増えていて、いざここで子育てをしようと思ったときに、受けられるサービスが少なく、この町で暮らしていくことに悩んでいる現状がありました。
そんな中で、移住してきた若いお母さんたちが声を上げてくれて、一緒にこのプロジェクトを始めることになりました。私は、エンパワーメントをする際に、本来その人が持っている声を安心して出せる場を作ることがすごく大事だと思っています。今そういった場の一つとして「みなはぴ」という子育て中の母親たちが中心となった任意団体ができました。



このプロジェクトでは実際に「しゃべりば」というタウンミーティングを企画したり、子どもの預かりサービスを行なったり、親子でいられる場所をつくったりはしているんですけど、その活動自体を目的につくりたかったということよりも自分が何かをやりたいと声を上げて動けば、実現できるという環境をつくりたかったんです。



立ち上げのときは移住してきた女性の方が多かった印象ですが、今は地元のママさんたちも参加しているんですか?



半々ぐらいですね。時間はかかるとは思うんですけど、この活動が特定の人たちだけのものになってしまわないように気をつけています。もう少し広がりを持てるようにしたいなと思っています。実際にアクションを起こしていきたい人たちをもちろんサポートをするんですけど、みんなの声をすくい上げられるような場をつくっていけたらなと思っています。



まちづくりの現場も同じような感じですよね。やりたい思いを持っている人が集まって、さらに周りも一緒に参加できる場のデザインが、大切なステップな気がします。
実際に「しゃべりば」ではどのような話が出ていますか?



子どもの居場所はつくりたいねという話をしていて、乳幼児や未就学児の子どもたちの居場所、小学生や中学生の放課後過ごせる場所など、いろんな年齢で課題があるよねというような話をしています。



ちなみに、パン菓子工房oui(以下、oui)の取組は、ハッピープロジェクトから派生したものなんですか?



子そだてハッピープロジェクトは、ここ3年ぐらいなので、最近の取組になります。ouiは2015年ぐらいからの活動で、震災後の女性たちの仕事づくりで、食の事業に関心のある女性たちに、パン教室をやったところから始まっています。



住民が自分のまちの暮らしを楽しむために、趣味を生かす場や、それが小さくてもビジネスになるような場は大切だと感じました。なにかアクションを起こしたい人たちがouiの活動を見て、勇気をもらうケースも多そうですね。




平和を心の軸に、長い時間をかけても人を応援し続けていきたい



1人で移住して南三陸で活動を始めるときに、人の輪を広げていく上で大切にしていたことはなんですか?



「1人で」という感覚はないです。南三陸に来たときは、石本をはじめ先に入っていたスタッフがベースをつくってくれていて、その中に私も参加しました。
エンパワーメントの活動をしていると、人が一瞬で変わる話でもないし、長い時間をかけて変わっていくので、十年以上こっちにいるからこそ、その人の変化がわかると思っています。それがすごく面白いと思っているし、だから何かをすぐに変えようという風には思っていませんでした。



栗林さんが今おっしゃったような、地域に寄り添って長い時間をかけた支援が、とても難しくもあるけれど、大事なことだなと感じました。



私が何かしたからといって状況を変えることはできないので、その人が変わりたいと思うまで待つしかないと思っています。



地域の人、顔の見える範囲の人たちと物事を一緒に作り上げていくというような、町や人への関わり方自体が、栗林さんのライフスタイルなんですね。栗林さんが人を応援し続けられるモチベーションはどこにあるんですか?



そういうことが好きなんですよね、たぶん。人や景色もそうだけど、いろんな人たちが作用して何十年もかけて作ってきたものに、なんかいいなと感じます。あとベースにあるのは平和です。争いがないようにしたいというのが根底にあるので、人が関わり合うことで関係を重ねていくことが大事だと思っています。
暮らしの中で女性の持つ「眼差し」の価値を生かしていきたい



今後の展望をお聞かせください!



今いる宮城の県北地域で、女性をエンパワーメントする団体や場所を残していくことを目指しています。何かあったときに灯台的な役割ができたらいいなと思っていて、災害がまたいつか起きたときも、女性の力を大事にしている団体がここにあることが重要だと思っています。平時でも困ったときに、頼っていける場所として存在し続けること。自分がずっとそこにいるということではなく、それをやっていける人たちを育てたいです。



組織や体制はどうあれ、今のウィさんの機能がしっかりと継続していくということですよね。同じ思いを持っている人たちが、組織ごと継がなくてもいろんなところに行って、それが長い年月をかけて続く流れを確実につくっていらっしゃると感じます。ただ、社会に対してインパクトを提供していくときには組織という形があった方がいいと思っています。
新しい担い手を探したり、存続のための具体的な動きはされていますか?



最初、私たち自体は無償のボランティアで、自分たちがやりたいからやるという理由で始めました。その後少しずつ組織化していって、今は有償で働くスタッフが増えてきています。活動を継続していく中で、スタッフの働く環境を整えようと少しずつ取り組んでいますが、なかなか難しさはあります。公的な女性相談センターのような機関ではないため、どうやって予算を確保して、ここにずっとあり続けられるかは、考えていかなければならない課題だと思います。



栗林さんとして、あらためてウィの存在意義について考えていることを教えてください。



女性の視点には、生活者や弱い立場の人に寄り添う力があると感じています。その価値は、地域や社会づくりにおいてとても大事で、これからも活かしていきたいと考えています。



女性が持っている、きめ細かいものを見る視点や考え方、思考プロセスの価値をより社会に還元していきたい、というお考えがあるんですね。共感です。



そうですね。女性たちがケアの役割を押し付けられるという意味ではないんですけど、実際に生活の場で女性たちは関わって暮らしているので、その眼差しとか、価値みたいなものが生かされてほしいなと思います。
現状のやり方で人が豊かに健やかに暮らしていける社会になっているのであれば、問題ないかもしれません。でも、それがもうできなくなってしまっているので、そこには何か欠けていた部分があるんだと思います。その欠けているところを補う役割として、女性たちがもっと声を上げられるようになるといいなと思います。



「眼差し」という言葉がすごく心に残りました。女性のエンパワーメント活動の根底にあるのは、豊かに暮らす視点や術を、社会に広げていきたいという想いなんですね。


(聞き手:かまた、安富 文:かまた、まえだ)
栗林 美知子
1979年和歌山生まれ。東日本大震災での災害ボランティアを機にNPO 法人ウィメンズアイ(WE)の前身団体立ち上げに参加。それまでの国際協力の仕事を辞め、WEの事務局長として宮城に移住。復興過程の南三陸町で、地域の女性たちとともに、人をつなぎコミュニティを育てる活動を続けてきた。2016年に、地域の女性たちと地産品を活かしたパンを作る「パン・菓子工房oui」のプロジェクトを立ち上げ、工房長に。2020年よりWE理事兼南三陸所長。ワークショップデザイナー、国家資格キャリアコンサルタント。
Webサイト NPO法人ウィメンズアイ / パン菓子工房oui
シリーズ『まちのひと・こと・ば』
私たちが、仕事や暮らしの中で出会った素敵な人たちを再訪し、いま手がけていることや考えていること、これからやってみたいことを対談形式でワイワイ聞いていきます。
この対談をつうじて、まちに関わる「ひと」、そこで生まれる「こと」、「ひと」と「こと」を育む「ば」の魅力や可能性をみなさんと再発見したい!そんな思いではじめたワクワクシリーズです。